神待掲示板サイト

  • 投稿日:
  • by

iede.jpg僕は東京都で今飲食店で働いている20代です。仕事が朝から夜までと忙しく中々女性との出会いがないので今はちょっとした空いている時間で相手を探せるという理由で神待掲示板を利用しています。

神待掲示板サイトで知り合った家出神待ち女性とは実際に会えたり、中にはお持ち帰りできた方もいます。

その体験談についてお話します。まずは神待掲示板から好みの女性を探しましょう。そしてその人にサイト内のメッセージから連絡をします。そこから性格であったり相手も出会いを求めているのかを探ります。

この時点では無理に会いたいアピールをするよりも相手の情報について色々と知ることが大切です。お互い打ち解けてきたら実際の連絡先を交換しましょう。僕の場合は連絡先としてLINEを交換しました。

相手がメッセージを既読していることも確認できるし無料通話の機能もあるのでとても便利です。ここで相手に自分の写メを要求しました。こうゆう内容にも慣れているのか相手はあっさり承諾。

見てみると中々の美人!ドストライクでした。ちなみに相手は家出中の女子大生とのことでした顔は少し童顔で巨乳。もちろん僕の写真も送りました。その後の反応が良く相手から会いたいと言われたので3日後会う約束をしました。

その当日、実際に待ち合わせ場所へきた彼女は写メ通りの童顔巨乳ちゃん。詐欺じゃなくて安心しました。

その日は買い物へ行ったり、食事など色々行っている間にもう夕方になっていました。

今日は1日目だしここは紳士的にお開きしようとしたところ相手は現在家出中とのこと。

今までそんな話はなかったのでかなり驚きしましたが、帰る家がないならここは僕がなんとかしなくてはいけないと思い「じゃあうちくる?」と思い切って言ったら若干半泣きでうなずいてくれました。正直予想外の展開でしたがその後彼女の下着やお泊りセット等を購入し僕の家へ。

それから色々話を聞いてみると上京してきた彼女は東京でできた彼氏と同棲していたのですが彼氏のDVに耐えられず家出をして家出サイトトで知り合った僕にかくまってもらおうとしたみたいです。

なんだかドラマのような展開ですが本当にこんなことあるんだと思いました。そして話を聞いていくうちに同情してなんとか守ってあげなきゃという感情になりました。そのあと彼女も僕を信頼してくれたみたいで少しずついい雰囲気に、そのまま僕たちは出会った初日でエッチしました。

次の日彼女は付き合っていた彼氏に別れを告げ今は僕が彼氏です。中々女性と関わりのなかった生活から一日で一気に逆転しましたがいまがとても幸せに感じています。神待サイト掲示板

私が人生で一番「神様ありがとう!」と思ったのは、昨年29歳と11ヶ月で入籍したときです。
同世代の周りの友人や同僚が続々と結婚や出産をしていく中、私も30歳までには絶対結婚したいと思っていました。

大学生の頃から6年半付き合っていた彼がいたので、自然の流れでいけば20代後半には結婚できるものと思っていました。

しかし、いつまでたっても煮え切らないその彼氏に愛想を尽かし、27歳のとき私から別れを告げました。

今から思うと、そのときは仕事が嫌で嫌で仕方がなく、そこから逃げるために結婚したいというオーラが全開で出てしまっていたため、その彼氏としても抱えきれなかったのでしょう。

彼は大学院まで行っていたため、まだ社会人経験も浅く、結婚などまだ考えられなかったのかもしれません。
その後も何人かと付き合いましたが、どの人とも1年未満でお別れしてしまいました。

社会人になってからの恋愛は、その人自身だけではなく、会社や年収、転勤がありそうか等々、様々な条件がどうしても気になってしまいます。

また、自分の年収も700万円くらいまで上がったため、ここまで頑張ってきたのだから自分より上の人と結婚したいという思いも強くなってしまいました。当然、条件をクリアする独身男性は少なく、自分もいわゆる婚活難民になりそうな予感がしていました。
29歳の誕生日のときは10年ぶりに彼氏なしで過ごしました。これでほぼ30歳までに結婚する可能性はなくなったな、と諦めたその直後、将来の旦那となる人と出会ったのです。


彼は自分より約一回りも年上でしたが、外見からはその差は感じられず、また同じ業界に勤めているということもあり話も盛り上がりました。

しかも付き合ってから知ったのですが、なんと彼は年収3500万円という高収入男性でした。全くそれを鼻にかけている様子もなく、約一回りも下の私に対してもとても丁寧に接してくれました。更に打ち解けると、かなり可愛い性格ということもわかり、条件抜きにしてもとても穏やかで好きなタイプでした。

ただ、なんで40歳すぎまで独身だったのだろう、結婚願望がない人なんだろうな、と色んな疑問もあり、あまり期待はしていませんでした。ですが、付き合って半年たった頃、突然プロポーズされたのです!

その後は家族の挨拶、新居探し等もとんとん拍子に進み、海外で豪華な挙式も出来ました。20代のうちに、しかもこんな夢のような結婚ができるなんて、本当に神様に感謝するしかありません!

妊娠5か月の時に、突然主人の仕事の都合でアメリカに転勤することになりました。英語が話せないし、アメリカの出産事情が分からないのに、初めての出産をアメリカでするということでとても不安に思っていました。神待ち掲示板をよくのぞいていた時期です。

渡米してからまず産婦人科を探すことから始めました。私自身が英語があまり話せないということで、産婦人科に電話をして検診を受けたいと言っても2件断られてしまいました。半泣きになって3件目の産婦人科を探して電話をかけて日本人であることを伝えたところ、まさか相手が日本語で話してくれたのです。中国人の方でしたが、10歳まで日本で育ったため日本語が話せるようで、出産を受け入れてくれることになったのです。始めの2件で英語が話せないという理由で断られたからこそ、日本語が通じる人のいる産婦人科が見つかったのだと思い、神様ありがとう、と思いました。外国で病院にかかるときに一番不安なのは言葉の問題ですが、これがクリアーできたことでその後の検診通いが精神的にとても楽でした。

出産が近づいてからはいつ陣痛が起こるか不安な中、幸いにも主人がいる夜中に陣痛が始まりました。そしていよいよ出産を迎え、初産なのできっと時間がかかるのだろうと思っていました。しかし病院に到着したときにはすでに子宮口が9センチ開いており(10センチが全開)陣痛室に行くことなく、分娩室に直接入り3時間というとても短い時間で出産しました。私も子供もすごく元気で、両親が日本からお手伝いに来ることはできなかった中で、母子ともに健康だったことは本当に優しい神様に感謝すべきだと思いました。

育児が始まってからも、子供がすごくよく寝てくれるので大変助かりました。夜泣きで寝不足となり体調が悪くなってしまったらどうしようかと思いましたが、新生児の時から夜は11時には眠ってくれて、夜中に泣いて起きるのは1回、多くて2回程度で朝6時ごろまで眠ってくれたので寝不足にはなりませんでした。そして子供が1か月半くらいのときからは夜通しで寝てくれるようになり、それからは私もゆっくり眠ることができました。このことを友達に話すと、「言葉も分からない不安なアメリカで出産を乗り越えたご褒美に神様が育てやすい赤ちゃんを運んで来てくれたんだね」と言ってくれてまさにその通りだと思いました。

一人目の妊娠経過が順調で、育てやすい子供であったため、今は二人目を作ろうとチャレンジ中です。二人目も元気で育てやすい赤ちゃんが来てくれるように、神様に祈るばかりです。

授乳中の母親が苦しむ乳腺炎

  • 投稿日:
  • by

地獄の苦しみを味わうと人から聞き、絶対になりたくない、と高価なハーブティーを飲みながら過ごした1年間。特にトラブルもなく、私は乳腺炎とは無縁なのね、と完全に言って油断しておりました。

そんなある土曜の朝、左の胸がいつもよりも張っている気がしました。土曜日はいつも上の娘のお稽古事の日。ピアノとスイミングに連れて行くため、バタバタと慌ただしく時間が過ぎます。

私は左胸に違和感を感じながらも、急いで息子に離乳食を食べさせてからピアノ教室へ向かいました。

1時間のレッスンの間、息子をロビーであやしながら娘を待ちます。30分経った頃、息子がグズリ出したので空き教室を借りて授乳することにしました。

右胸の授乳を終え、左胸の授乳をしようとしたその時です。思わず「ヴッ」と叫んで息が止まるほどの激痛が走りました。いつもなら授乳後にはスッキリする胸が風船のように膨れ上がっています。指で押して圧を抜こうとしましたが、少し触れるだけでも痛くてたまりません。腺が詰まってしまったのでしょう。

おいおい、これどうしよう・・・ズキズキと痛む胸に憂うつな気分になりながら、何とか2つ目のお稽古事の終わりまで耐えました。

一体私が何をしたと言うのでしょう。どうしてこんな目に合わなければならないのでしょう。と頭の中で自分に問いかけます。いや、待てよ、昨日餅を食べたからかも。あ、それからチョコレートも。昨日の私のオオバカモノ!

家に着いてからも一向に治る気配はありません。左胸からお乳をもらえない息子はグズグズと不機嫌になります。ごめんよ、ごめん。文句なら昨日の母さんに言っておくれ。

こんな日に限って夫は出張で帰って来ません。一体全体どうしたものか・・・。とにかく左胸が痛くて痛くて。夕飯の支度も出来そうにないので、宅配ピザを注文しました。一切れ位なら食べられるかな?なんてバカなことを思いつつ。

ピザが届く頃には左胸のズキズキは頂点に達していました。出産の時の陣痛の方がまだマシだと思えました。食欲なんて一切ありません。

「神様~!助けて下さい~!」

困った時の神頼み。困った時だけ神頼み。もう必死です。手を合わせて宙を仰ぎます。神様を探して、掲示板にも書き込みました。

ええい、もうどうにでもなれ!

気が狂ったようにパンパンに張った左胸を掴んでみました。と、その時です。詰まっていた腺が圧に耐えかねたのでしょうか。1つの場所からピューっとお乳が吹き出して段々楽になったのです。

「神様!ありがとうございます!もう2度と餅もチョコも食べません」 

こんなに神様に感謝したことはなかったかもしれません。

もうあんな思いはしたくない、と即日断乳を決行した私でした。

ありきたりのことかもしれませんが、出産を経験した時に、神様ありがとうと思いました。

なんとなく結婚してしまった私に、子供ができてしまい、別れることが難しくなったとき、まだお腹が膨らんでいなくて旦那とけんかをし、服もろくに着ることなく薄着のまま真冬に家を飛び出したことがありました。

何とか連れ戻されたときにも、旦那との話し合いの中で、「明日病院に行ってくる、どういうことかわかるよね?」とけんか腰に話したこともありました。

お腹の中とはいえ子供がいることの実感がなかった私たち夫婦はお互いにまだ自分たちが子供だったのかもしれません。妊娠中の喧嘩はそれだけではなく、本当に離婚してしまうのではないであろうかということは多々ありました。いわゆるけんかの絶えない夫婦だったのです。悩んだ時は、神待ち掲示板をよく見ました。

主人がマザコンだったこともあり、義理母のたばこがつわり中にものすごくきつくなり、おなかの子にも影響するから極力やめてほしいと伝えてほしいと相談をしたとき、主人は、少し我慢してくれと私に言ったのです。

カチンときてこのときは、家出して、しばらく実家に帰りました。こんなこともあって、どんどん大きくなるお腹の子と一緒に成長してきた私たち夫婦。私自身もともと女に生まれたことがすごく嫌だったので、いろんなことで男性だったらよかったのにと思って生きてきました。

しかし妊娠して陣痛が始まった時まででその気持ちは消え、女性しかできないこと、そう思いながら陣痛の痛みに耐えながら、無事に出産を。

この時ばかりは女性にしかできない大仕事を終えた自分に、女性として生まれてよかったこと、自分もこのようなきつい思いの中生まれてきたこと、自分の母親に感謝したこと、そして何より、いろんなことがあっても無事におなかの中で大きくなって成長してきて五体満足で生まれてきたわが子、神様ありがとうと心から、人生で初めて感謝した瞬間だったかもしれません。

今では私の目を盗んで悪いことばかりをする子供と、いまだに父親になり切れず子供のままの手のかかる主人を見ていると、ふと、この時のことを思い出します。

怒鳴ったり、たたいたりしながらの育児と旦那教育の毎日ですが、神様に感謝しつつ毎日を送れるように心がけています。

もし家出したとき、おなかの中にいるこの子に何かあってもおかしくなかったと思います。

でも神様は、私に母親になることを選択させたのです。

この選択はもう一方を選択させることよりきつい方を選んだ神様は、私に試練を与えたのかもしれませんが、それを感謝しつつ日々生活していかなければと思います。